2020/06/03,Wed.

聲の形』原作漫画を読み返しアニメ映画も観た。

原作も良いけれど、映画版は何度見ても素晴らしいと思う。

技術面や構図、カメラワークが参考になるのはもちろんのこと、内容の構成の仕方である。

絵柄や大筋のストーリーで原作を踏襲しつつ、内容は完全に分解再構築換骨奪胎されて別のものになっている。

映画版と原作どちらも一度ずつしか触れていなかったとき、私はどちらも"同じ"話だと思った。二回目に、これらは全く違うものを表現しているのだと気づいた。

またいつか感じ方は変わるかもしれないが、今の時点での解釈を記録しておこうと思う。

 

原作では、いじめを主題として、人と人とが言葉や態度で伝え合えないこと、わかりあえないこと、それぞれのバックグラウンドや無意識の領域から生じる何か得体の知れないものを表現しているのだと思う。

それに対して映画版が表現しているのは、それぞれの立場や視点によって、同じものを見ているようでも見えているものは全く違うのだということではないだろうか。

原作ではそれぞれの登場人物の内側にあるものがいじめを生んでいるが、映画のはじまり部分ではあるひとつながりの状況のなかでいじめという関係が形作られてゆく様子が描かれている。映画版はいじめをテーマとしているのではなく、人間関係の一つの形としてのいじめを描いているのだ。

前提だけでこんなに違うのだから後半(というかメイン)の描かれ方もかけ離れてくる。原作は主人公に(あるいは何人かの登場人物に)寄り添い主人公の(彼らの)心のための物語として語られるが、映画では主人公と外界との関係性、他の登場人物たち同士の関係性として表現されていると思う。

 

 

 

てか映画版の植野さん、なんて健気なの。なんてかわいいの。

さすが京アニ山田尚子

独白を極力用いずちょっとした表情や仕草で感情を伝えたりなど、アニメーションだからこそできる表現をてんこ盛りにしているあたりも。